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YUKI NAKANO (作編曲、リミックス、サウンドプロデューサー、プログラミング、サックス奏者・たまにyukinori nakano名義もあり)



・1970年1月2日 東京生まれ。

5才のころより父、ピアニスト橋本正暢(フールサンズセレナーダス・N響・読響・ソリスト)の許で嫌々ピアノを学びはじめ る。

幼少の頃から海外ドラマや映画、ミュージカルが大好きな両親の元で育ち、本編よりもBGMが好き!!という奇妙な興味と嗜好を持ち、
また一歩家から出ると生まれた町、原宿竹下通りでは日々流れるのはディスコミュージック。そういった環境でヘンリー・マンシーニ、アラン・シルベストリ、
ラロ・シフリン、アレキサンダー・カレッジ、ジェラルド・インメル、ビー・ジーズ、サルソウル、アイザック・ヘイズ、クインシー・ジョーンズ、ヴァンゲリス、
ハンコックからジョージ・デューク、ラフマニノ フ、ショパン、シューマン、チャイコフスキー、ラベル、ガーシュウィン、すぎやまこういち、
渡辺岳夫、松山祐士、青木望、あげく高中正義、カシオペア、オメガトライブ、オフ コース、と順調に進み、という明らかに将来は精神分裂症確定、普通なら
悪い酔いしそうな多彩かつ偉大な作編曲家、演奏家達に影響を受けつつ育っていく。

が、クラシックに集中したいという父に連れられ突如14才の頃家族とウィーンへ移住。
ちなみに日本を離れた当時の進路第一志望は航空自衛隊のパイロット。(父は飛行機マニア、自家用パイロットライセンス持ち。航空自衛隊の招待飛行で
F-104の搭乗経験、音速突破経験あり。祖父はwikiにも載ってる航空業界の偉い人。)、ミュージシャンは第三候補だったがいきなりドイツ語のドの字 も
知らないのに現地の音楽ギムナジウム(中学と高校がくっついたみたいなやつ)に放り込まれる。


・15才の頃グローバーワシントンJrや渡辺貞男に憧れSAXに転向。しかしソニー・ロリンズやウェイン・ショーターに影響されアルトではなくテナーサッ クス
を始める。(テナーの方がデカくてカッコいいとか思ったってのもあり。)

ちなみにサックス前にクラリネットだろ!という父の意見でクラリネットをトンキュンストラーオーケストラのクルト・シュミット氏に師事。2〜3年くらい
やったかな。

その頃ウェザーリポートやボブ・ジェームス、マイルス・デイビス、マーカス・ミラー等のフュージョンやプリンス教、フレディ様、等様々な欧米のPOPS、
さらにはクラブミュージックのメッカであるヨーロッパという土壌でHip HopやHOUSE、EuroBeat等を聞き作曲、編曲、打ち込みに目覚め4trカセットレコーダー
等で曲を作り始める。


・1989年9月 ウィーン市立コンセルバトリウム音楽大学ジャズ学部サキソフォ―ン科入学。

テナーサックス、ジャズ理論、編曲等をデイブ・リープマンやジェリー・バーゴンジーと親交の深いテナー奏者ヴィリー・クワルダ氏に師事。やりたかったの
はポップでおしゃれなフュージョンだったのにも関わらずコルトレーン等のガチガチJazzに洗脳されつつも映画館のチケットが安いヨーロッパで映画を見ま くり
映画音楽にも多大な影響を受ける。

そして在学中より先輩でもあり親友でもあるヨーロッパ屈指のジャズピアニスト、作編曲家ギャリー・シューラーの応援でサックス奏者としてヨーロッパの
アーティストのサポート、スタジオ、クラブ等でプロ活動を開始。
また、昔片思いだったギムナジウムの同級生がドイツ語圏での演劇学校の名門ラインハルト・セミナーに通っていた関係で舞台音楽でもこき使われるハメに。





・仕事にかまけ単位を落としそうになったり留年しそうになるが後輩に教わったり(Nico!ありがとう!)師匠に怒鳴られつつも1994年6月、奇跡的に なかなか
優秀な成績で卒業。

その後ヨーロッパで音楽活動。サックス奏者としてBeat4Feet(ロンドンDJチャート1位)、BingoBoys(ビルボードDJチャート1位)等 ダンスシーンの
ユニットやPOPグループに参加、他のアーティストのライブサポートと自己&他ユニットでのクラブ出演(最多で年間300ステージ以上。徹夜明けで生演奏 は
マジきついっす。死ぬかと思ったがおかげでデスマ進行の耐性がつき始める。)。
スタジオ、セッションミュージシャンとしての活動以外にもCMの音楽の作曲や様々なPOPアーティストのバンマス、音楽監督、サウンドプロデューサーを
務める他、サルツブルグ音楽祭で上演された演劇の劇伴の作曲やR&B・ジャズ・ドラムンベース・ユーロビートからクラシック等と 幅広いジャンルでサックス
奏者、作編曲家として活動。



ソロプロジェクト発表の体制も整うがやっぱりメジャーから派手にソロデビューをしたい〜と突然とち狂い、日本語もほとんど忘れて出来ない癖にウイーンを
離れる。


・フュージョンがブームだった80年代当時の日本の記憶のままフュージョンシーンでのアーティストデビューを目指し、しかしバブルも弾けフュージョンの流 行も
終わった1997年3月 、日本へ帰国 。

なんでこの時期に日本に来るかな、バカだなお前wと言われつつもCM音楽プロデューサーの藤本康氏に拾われ、作曲家 上野圭市氏の助けもあり日本での音楽活動
を開始。







フリーの作編曲家、サウンドプロデューサー、サックス奏者としてMAX、田原俊彦、倉木麻衣等のシングル、アルバム、等に多数参加。帰国当時はサックス奏
者としても活動していたが…知らないうちに作編曲業一色に。

幼少時代からの影響やサックス奏者現役(引退したわけでは無い。今でもちゃんとレコーディングでは吹いてます)時代にありとあらゆる音楽を演奏し、理想の
フュージョンを作るためにほぼ全てのジャンルの音楽を研究した為、ジャズはもちろん民族音楽からロックからクラシック、打ち込みからリミックス、ビッグバ ンド
アレンジからオーケストラまでどんなジャンルでも本物のサウン ドを作れるという強みに加え、(しかし演歌だけはダメな様です。。)
オーディオ&機械マニアの父の影響とアナログ〜デジタルシンセの過渡期に音楽を始めた為コンピューター、プログラミングにも強い為(2000年初頭までサ ポート
がとうの昔に終了していたATARIコンピューターの基盤を自分で直してLogicの前身であ るNotatorで曲を作っていた。。)各種メディアのオールジャンルの作編曲
から挙句、ガラケーの プリセット音源の作曲は勿論、着メロのプログラミング、DLサイトまでのディレクションまでも手がける様になる。

夜の遊びもモチロン大好きで日本のクラブシーンの第一人者Dr.TommyD.T Constructionのメンバーとして、トラックメーカー&サックス奏者としてクラブシーン
でも活動。





代々木の某有名専門学校で講師をしてみたり(すぐ辞めたが。)、作曲家ジョー・リノイエ氏にアレンジャー、マニュピレーターとして数年飼われたりしつつも
(ほんとにお世話になりました。)現在もJ-POPから18禁ゲーム、コンシューマー、ソシャゲーからTV、ラジオ、CM、声優やインディーズのCD等の プロデュース、
遊技機 の楽曲制作等、 メディアの種類問わず「音が出るものならなんでも」出来ます!やります!やらせて下さい!なブラック自営業サウンドクリエーターとして、
たまにサックス奏者として、メタボと高血圧に悩まされながらも一応元気に活動中。






尚、音楽の都ウイーンコンセルバトワール卒の綺麗なおねーさんと思われがちだが大酒飲みの煙草とパイプ、葉巻を愛するクマの様なジジイである。









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